幼い頃から気の強い癖に、癖にというかだからこそなのかも知れませんがとにかく臆病な子でして、ごろごろどしゃーんと轟く雷やばたばたと屋根を打つ大雨や、家を揺らす程ひゅうごうと吹き付ける風の音がすると、大きな丸い目を見開いてパニックを起こして走り回りだします。そんな時、飼い主である私はどうにか彼女を捕まえ膝に乗せ、落ち着かせようと狭い額をかりかりとかいてやり、耳の後ろから顎の下、そして背中や腹を大きく撫でてやりますと、まるで人間のような大きな溜息をひとつついてから、やっと目を瞑って香箱を作ります。
16年、私の膝枕は彼女のものでした。
自分の為に生きる欲は無く、依存出来る誰かもおらず、しかし命を絶つ勇気も無いまま惰性で生きていた私が、ちびで痩せっぽちなのにプライドだけは一丁前の彼女と暮らし始め、人生に対する多少の執着を貰ってから16年。キッチンに立つ飼い主の背中を駆け上がり肩の上でメニューのチェックをしたり、寒いからと床に入った飼い主の首の上で丸くなり息苦しくさせ起こしたり、不細工に育つだろうと楽しみにしていた飼い主の期待を裏切って結構な美猫になったり、飼い主の好物であるイカの燻製をその手から叩き落したり、夜に脱走し大捜索させお隣の納戸の隅で怖くて固まっていたところを発見させ飼い主が楽しみにしていたビューティフルライフ最終回を見逃す破目にさせたり、お腹にビー球大の腫瘍を作って飼い主を冷や冷やさせたり、まだまだ山程ありますが、そんな16年でした。
夕方、日も伸びてまだまだ空の明るい頃、強い風は古い家に容赦なくぶち当たってはひゅうごうと唸っていましたが、彼女は珍しくとても静かでした。パニックを起こすでもなく走り回るでもなく、古い家はこれだから困るとでも言っているようなうにゃうにゃという文句を言うでもなく膝の上で大人しくしているのですが、幾ら撫でられても喉を鳴らすでもなく、伸ばしたままの腕は硬くいつものように閉じて開いてを繰り返す仕草をすることもなく、その柔らかさに飼い主が顔を埋めると迷惑そうに渋い顔になる腹は二度と上下することはありません。食事を摂らず子猫用のミルクも水も吐き出し、よたよたと歩く様から明らかにその日は近いと感じた私がもう治療はせずこの家で穏やかに終わらせようと決意してから三日目、もしかしたら彼女は延命を望んでいたかもしれません。だからこの結末は、私のエゴが引き起こしたものです。何が幸いなのか今まで幸せだったのか、猫の言葉を解せない飼い主はエゴで動くしかありませんでした。
ちっぽけな人間と更にちっぽけな猫のことなんざ眼中無いと主張するように、相も変わらず風がくるくると暴れる中、いつもならそうすると怒る彼女をここぞとばかりにぎゅうと抱きしめます。嗚呼軽い、固い、冷たい。決して良い飼い主では無かった私には、それが例え憶測だとしても、彼女が幸せだったとは口に出来ませんが。
数時間経ち風も止んだ静かな夜を迎え、思います。
少なくともこの16年、私は彼女と暮らせてとても幸せでした。